2011/02/08

文学考察: おぎんー芥川龍之介(修正)

文学考察: おぎんー芥川龍之介(修正)



  浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいました。彼女の両親は彼女を残したままこの世を去り、残されたおぎんはおん教を信仰しているじょあん孫七の夫婦の養女となります。三人は心からおん教の教えを信じ、村人に悟られないようひっそりと断食や祈祷を行い、幸せに暮らしていました。
ところが、ある年のクリスマスの夜、何人かの村人が孫七の家を訪れ、おん教のことがばれて彼らは捕らえられてしまいます。彼らはその後、その儘代官の屋敷に連れて行かれ、おん教を捨てされるべく、様々な責苦に遭わされました。しかし、彼らは一向に自分たちの信仰を捨てようとはしません。そこで代官は、一月彼らを土の牢に入れた後、焼き殺す事にしました。
そして一月後、全ての準備ができた時、ある役人の一人から「天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやる」と告げられます。そして、その言葉を聞いたおぎんの口から思わぬことが発せられます。
この作品では、〈恥とは〉ということが描かれています。 
まず、上記にもあるように、ここでおぎんは自らの死を目前に控えている最中、予想外のことを役人に告げます。それは、なんと彼女はこれまでずっと信仰を捨てなかったおん教を、ここにきて捨てると言うのです。この台詞を聞いた人々は、彼女が悪魔に取り憑かれ、死を恐れているのではないかと考えています。「生きている両親」もその例外ではありません。ですので、彼らはおぎんにもう一度信仰の心を起こし、所刑にされるよう説得をはじめます。ところが、おぎんは死を恐れている訳ではありません。彼女は、自身がおん教を捨てる理由についてこう述べています。「あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。」なんと彼女はおん教を知らなかった、「死んだ産みの親」の事を考えて、自ら天国に行くことを拒んでいるのです。そして、それだけではありません。彼女はその後に「どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」と、今度は生きている親」の顔を立てる為、おん教を捨てた自分も死ぬと言っています。ここに彼女の恥というものが成り立っています。この場合、彼女はどんな状況でもおん教を信じ、天国にいけない事が恥だとは考えていません。むしろ、おん教を信じるが故に「死んだ両親」、「生きた両親」を見捨て、自分だけが助かろうとする行動にこそ、恥を感じているのです。だからこそ著者は末尾で、「これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である」と述べているのです。自分だけが信仰を捨てず、天国に行くことが常に誉れだとは限らないのです。

◆わたしのコメント

 よく書けています。
 アドバイスをうまく受け止めてくれているようです。

 論者は、この作品を読んだ上で、「おぎん」が、「育ての親」からもらった「おん教」の教えに則ったうえで、「生みの親」のことを考えるにいたり、双方の親のためを思えばこそ、信仰を捨てることを認めた上で、育ての親を追って自らも死ぬ、という選択をとったのであるから、これを一般化すれば、それは「おぎん」の<恥>が表れているのだ、としています。
 結果から見れば、「信仰を捨てた」上で、さらに避けられたはずの「死を選んだ」わけですから、これ以上無いほどの悪い立ち回りをしたもののように思えます。しかしこれはその内面に目を向ければ、自分の生命をおしてまでも守りたいものを手放さなかったという「おぎん」の、強い意志の表れでもあり、彼女の望みは立派に叶えられたのです。

 論者はここまでを踏まえた上で、この物語の一般性を<恥とは>としていますが、まだ<形式>としては一般的すぎますし、<内容>に目を向けても「恥」というのは、「外面上の体裁を重視したことによって人間心理におこる感情」とでもいうべきですから、わたしならば、こういう一般性にしたいと思います。

 この作品では、<命を賭して両親たちの恩に報いた少女の姿>が描かれている、と。

 こうして、論者とわたしの意見を戦わせようという段になると、やっと、その営みが、「議論」という名に恥じぬことが可能になってゆくことがおわかりになるはずです。論者は<恥>派に立って証拠を探したうえで論証し、それに対してわたしは上の一般性に基づいて論証を展開するという形の(相互浸透)、ある一定の形式に基づいて討論をたたかわせてゆくなかで(量質転化)、互いに素朴な感性的認識から真理らしきものへとのぼってゆく(否定の否定)というのがギリシャ時代の弁論術であり、それはつまり、弁証法の原基形態であったわけです。
 「ルール(形式)をしっかり守って」議論することの大切さがわかりましたか。ギリシャ人、そしてまた禅宗の禅者たちが、素朴であったり、観念論的なやりかたではあっても、あれほどに賢くなっていった理由がわかりかけてきたのではないでしょうか。また逆に、テレビで肩書きを笠に着て口角泡を飛ばしている方々の間に、何の進展も見られないことが多い理由もわかってきたはずです。

 次回以降の評論も、このレベルを維持し、高めてゆけるよう精進を重ねてください。また次回面談時に、互いの立場にたって、どちらが筋の通った一般性を導き出せているか、「議論」しましょう。そういう問題意識を持って(目的的に考えて)、負けじと準備しておいてください。前もって塩を送っておくと、<恥とは>という形式では、一般的すぎて、容易に論破されてしまうと思います。

 最後に、この作品の構造について付言しておきます。
 この作品には、やや一般化していえば、ある出来事というものは、それが現れた姿だけを見るのではなく、その過程がどのようなものであったか、そしてまた、そこにどのような意図が働いていたのか、という過程的な構造をみてとってはじめて、その出来事を本当に理解したことになるのだ、という一大論理が示されている、とも言えるでしょう。これは、文学の創作活動でも有効です。


【正誤】
・ですので、彼らはおぎんにもう一度信仰の心を起こし、所刑にされるよう説得をはじめます。
→ですので、彼らはおぎんにもう一度信仰の心を起こし、処刑にされるよう説得をはじめます。

・今度は生きている親」の顔を立てる為、
→「今度は生きている親」の顔を立てる為、

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