2011/05/14

文学考察: 一つの約束ー太宰治

先日の不具合以降、Bloggerのシステムが安定しませんね。
更新が数日分巻き戻ってしまったようです。
これはとっても困りますね。
とりあえず、手持ちのバックアップから復元します。


文学考察: 一つの約束ー太宰治


◆ノブくんの評論

 難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、燈台の窓際につかまっていた人物がいました。彼は燈台守の家族に助けを求めようとしましたが、自身のせいで家族の団欒を破壊することを一瞬躊躇ったせいで、並に流されてしまいました。そして、著者はそういった誰もが知らない、不幸にもある種の輝きをはなっている人物たちにむけて、ある約束をしています。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈文学に対する、ある使命〉が描かれています。
まず、この作品の要諦は次の一文に集約されています。「誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作者たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるであろう。」つまり、このようなだれも知らない、喜劇であり、またある種の輝きをもった人物たちを作品として発表し、世に知らしめることが文学のひとつの使命であることをこの一文で述べています。そうしてそれらの作品は人間の輝きを世の人々に見せ、私たちに希望や感動、そしてその苦悩を教えてくれるものになるはずです。


◆わたしのコメント

 文意に即した内容の評論を目指していることは読み取れますが、あえて言うならば、作品についての理解が表面的です。
指摘は簡潔な表現に留めるので、行間は自分自身で読みといて行ってほしいと思います。結論的に言って、論者は「この作品では、〈文学に対する、ある使命〉が描かれてい」ると指摘していますが、それは本当なのか、というのが最大の焦点です。筆者は、「文学そのもの」に対する使命を表明しているというよりも、「文学で描かれている対象」に対して、何らかの約束をしているのではないでしょうか。
 そこを丁寧に踏まえれば、一般性の形式は、<●●に対して、●●を表現しようとする文学者としての使命>などといった形になるでしょう。筆者は、文中で述べているような、市井におけるある人間の姿を、文学者としてどのように扱い、そしてまた、実在するであろう彼女・彼らのような人間にたいして、どのようなメッセージを伝えたいがために、約束を表明したのでしょうか。そのことをしっかりと含む形で論証できれば、評論の基礎的な土台は完成したといってもよいでしょう。

 また文学の道をめざす論者が、筆者の主張を参考にしながら、彼と同様の形式を使えば、どのような約束になるだろうかと、筆者の思いを我が身に捉え返すかのごとく考えてください。偉大なる先達の背中を見て、彼らが何を目指して生きていたのかを読み取ろうとすることをとおして、人としてつながる者たちの恩に報いるべく生きるという姿勢も、「ほんとうの独学」というものです。


【誤】
・並に流されてしまいました。

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