2011/05/30

どうでもいい雑記:台風と水系

研究職は、休日というものがない。

大雨の降りしきる中、卵をあたためる白鳥。
というより、友人によればわたしのばあい、
「休みをとる」という発想そのものがないらしいのだけど、
図書館が書庫整理で閉まっているときは、
精神的にはともかく物理的に追い出された格好になる。

こういうときに、選択肢は2種類だ。
自宅で研究をするか、屋外で研究をするか。

けっきょくやっていることは同じだけれど、取り組むジャンルは違ってくる。
先日からの台風2号が気になっていたので、せっかくの機会、外に出ることに。

◆◆◆

台風が来たことによって、わたしたちの生活が影響をうけることは少なくない。

一般の方がよく指摘されるのは、台風のあとは空気が澄んでいることや、
道路に看板やら折れた木々が散らばったりして通行の妨げになる
といったことがほとんどではなかろうか。

今回の台風2号は昨日の未明に縮小して低気圧に変化したけれど、
どちらにせよ熱帯の気温を運んでくるのは間違いないので、
当日以降の大気も影響を受けざるを得ない。

そのうち、わたしたちの生活に直結しているのは、
気温や天候といったものだから、今日からの1週間は、
みなさんも普段よりも天気予報を注意深く確認するはずである。

◆◆◆

そういうときに、わたしのいちばんの関心事というのは、水系のありかただ。
水系というと難しく聞こえるかもしれないけれど、雨として降った水が、
山から降りて川へと流れ、海へと注ぎこむという流れを、大きく捉えたときの言葉である。

関西圏であれば琵琶湖・淀川水系が代表的とはいうが、
馴染みのある人なら分かるとおり、
そんなことを言い出すとほぼ東部の全域というわけだから、かなり大雑把な把握である。

だから、この川はどこどこの水系であると言ったところで、
それ自体でなにかがわかるということはない。
あくまで、具体的な湖と河川、地域の水がめのあいだのつながりを、
なんらかの形で意識できていなければならない。

そのためには、地図が大きな手がかりになるけれど、
これはやっぱり、実際に川沿いを走ってみるのがいちばん勉強になる。


たとえば、
「ここは汽水域なのに、今日は妙に川魚が多いな。流されてきたのだろうか。」
「あれは海外産の熱帯魚だな。だれかが逃がしてしまったのだろうか。」
などなどといったふうにである。

そういう自分の目でみた事実を手がかりにして、地図とにらめっこしながら、
「ああなるほど、あそこの川から流れてきた魚か」
「あれっ、こんなところから流されて来ているのか。これは予想してなかった」
のようにして仮説を検証しながら、全体を流れとしてつかむのである。

ひろく、理論を実践を前進させる手がかりとしている方は、
机に向き合っているときにでも人を動かしているときにでも、
多かれ少なかれ論理的にはこれと同じ営みをしているわけなのだが、
わたしはやっぱり、身体を動かして確かめてみるのが好きなのだ。

◆◆◆

そういうわけで、わたしの持っていた仮説というのは、こんなものである。
あれだけの台風が来たということは、川は増水し、ため池は決壊しているのは間違いない。
普段は段差のせいで乗り越えられないところを、大きな水の流れが洗いざらいぶちこわして、流れに逆らいきれないすべてのものを運んできているはず。

まあ単純にいえば、
「今日という日は、普段ではお目にかかれない小動物や植物が見られるはずだ」
ということである。

地図はだいたい頭の中に入っているから、雨の中びしょ濡れになりながら、
川やらドブをちらちら眺めて、ひたすら地元を自転車で走る。
やっていることはまるで子供の遊びだけれど、こっちは真剣である。

◆◆◆

そうすると雨が上がったころ、人に出会った。
なにやら真剣な面持ちで、川に入って大きな網で何かをすくっている。

あっ、この人は、とピンと来た。

話してみて、やっぱり。
台風があったので、今日は普段ではお目にかかれない魚がとれるとふんで、
すこし調べてみようと思ったとのこと。

聞けば、ちょっとした専門家である。
わたしのまったく把握していないところに人工のパイプが通されていて、
表面上にはわからないかたちで水の流れがつながっていることや、
近しい種類の動物が交配して新たな種を作るという交雑の話をはじめ、
長年の疑問がなるほど、と氷解することばかりであった。

地勢や動物の生態などに関する、わたしのようなアマチュア観察家にとって、
仮説として持っていたことの実地的・理論的な裏付けがとれる瞬間というのは、
これ以上なく好奇心が満たされるものである。

とくに学者という立場からすれば、どんな個別の知識であっても、
最終的には全体としてみたときの位置づけ、知識同士の連関を鮮やかに示せねばならない。

いまのわたしから提供できるのは、長年実際に生き物を飼育してみた実感や細かな知識、長年定点観察を心がけていることからくる、局所的な変化についての理解だけであることが残念であったが、
あまりに話がはずんだせいで、生活上の予定がなにもできないままで帰ってきてしまった。
しかし学者ならば、三度の飯より、得難い出逢い。

◆◆◆

その人が所属されている研究会には、
次回からさっそく出させていただくつもりである。

問題意識に従って実際に足を運んでみるということは、
おんなじことを考えている人との出逢いが待っているかもしれない、
という面でもメリットが大きいものだ、と確認できた。

余暇がいつもこんなふうであれば、
趣味人冥利につきる、というものであろう。
趣味と呼ばれるものはすべて、学問になってゆく過程になければならない。

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