2011/07/29

「お勉強」が嫌いな人は資格試験にどう取り組むか (2)

(1のつづき)


前回のおわりでは、「いま嫌いなこと」は、ずっと嫌いなままで、決して「好きなこと」にはならないのだろうか?と問いかけました。


これを乗り越える手助けをしてくれるのが、「問題意識」というものです。

キッチンになどまともに立ったことがなくても、バレンタインデーともなれば、四苦八苦しながらレシピを読み進めて、すこしでも味の良いチョコレートやクッキーで好きな男の子の気を引こうとするでしょう。
どれだけ一人稽古だけで技を磨いていた人間でも、いざ人の上に立つともなれば、後輩にバカにされないようにと修練に身が入りますし、自分なりのやり方で後輩の面倒を見ようとするでしょう。
どれだけの子供嫌いであっても、生まれたばかりの我が子の、紅葉の葉のような手のひらを握ってみれば、親としての責任を感じて仕事にも身が入る、というのが人間というものです。

わたしたちが物心ついてからなにかに取り組むときには、どの努力の中にも、あることがらが念頭に置かれています。
ここの、人間というものは動物のように本能で動くのではなく、まずもってこうしたい、ああなりたい、という像を頭の中に持った上で実践に取り組むことをふまえて、学問でも、「人間は、目的意識をもって行動する動物である」との定式化がなされているわけです。

そういう問題意識というものが生まれるもともとのきっかけを探ると、自分が目指すところの目標と、現在の自分とを比べたときに、そこに矛盾があることを意識せざるをえないからです。
簡単にいえば、「今の自分には必要なだけの力がまだないなあ、なんとかしなければ」と思う、ということですね。

ここでの記事は、読者を手取り足取り目標まで導いてゆくという手びきをするものではありませんので、ここに、必要性を強く持った目標を設定することや、いまの自分の力を明確に自省することなど、どのような前提があるのかはご自分の必要に照らして考えてみてください。

ともあれ、料理が苦手の人が家族を持ったことによってその面白さに気づいたり、人の上に立つ必要性がそのもの自身を変えてゆくことは十分にありうるのですから、いま好きではないからとか、いまは能力がないからといった理由だけで、取り組むべきことを諦めなくてもよいわけです。

◆◆◆

好きや嫌いという感情は、現在の自分から見ると、どうにも動かせないほどたしかなもののように感じられることが多く、「現時点に時間を固定して、内なる感情に向きあうとしたなら」、ひとつの真理です。
そういった感情的な理由で新しい一歩を踏み出せない場合もありますが、新しい一歩を踏み出すことによって新しい気づきや意外な楽しさを見出すことがあると、食わず嫌いを克服して新しいことに積極的に取り組んでみようという姿勢となって定着してゆくことも少なくないのです。

わたしは義務教育、高校、大学へと進んでいった中でこのようなことにしだいしだいに気付かされてきました。

現実からの要請が、好きなものは嫌いなものではないものである式の、「あれかこれか」という形而上学的な考え方から、「あれからこれへ」・「あれもこれも」という弁証法的な考え方への変遷を迫ってきたのです。

そうしてそのことは、人を指導する立場に立つようになると、さらに推し進める必要が出てきました。

そうした中で、子供たちや後輩への指導をするにあたって、「勉強するにはまず姿勢から」ということを念頭におくようになっていったのです。


たとえばアルバイトで勤めた学習塾では、はじめの数コマを、「なぜ勉強をしなければならないのか」の話に割きました。
まずもって、学校の成績が悪かったり、学習塾に来るという事実そのものが、「勉強をしたくない」からなのですから。

言い換えれば、「どうしても嫌い!」を、自分の将来を想像することによって勉学の必要性と楽しさに目覚めてもらうことをとおして、「あれ、意外と面白いかも」、「ちょっとやりたくなってきた」に持っていくための工夫をしてきた、ということです。

「勉強ができない」、「論理力がない」というのは、単なる結果にしか過ぎません。問題はいつでも、その過程にどのような原因があり、どのようなきっかけがなかったか、ということなのです。

◆◆◆

「あるものごとに取り組むためにはまず問題意識から整えねばならない、自分にとっての必要性を強く認識できていなければならない」ということは、今回例にとった資格勉強の際にも、十分に役立てられる気づきです。

これをとりあえず、「問題意識」方式、と呼ぶことにしておきましょうか。
「お勉強」方式と対比させるための便宜的なものなので、言葉を深堀りする必要はありません。

さて、そういったやり方を目指すのならば、「お勉強」方式の、参考書をまる覚えしたあとに問題集を解く、というやりかたは、とても効率が悪いことになります。

なぜなら、参考書をまる覚えしたところで問題意識など出て来ようもないのですから。


(2につづく)

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