「休暇とはなんぞや?」
いつもの調子で問いかけるとすると、
「ついに気が狂れたか、休みに決まっているだろうが」
と言われるかもしれないけれども、わたしの問いかけというのはだいたいがそういう類のものなので、これが狂気ならば根こそぎ狂気である。
何が言いたいかというと、わたしにとっては、休みの日というのは、どういうふうに過ごすものなのかがいまいちよくわからないのである。
一般の人たちが休みの日となるとこぞって出かける、あのレジャーや観光、そういう具体的になにをするか、ということよりも、形式的にどういった位置づけのものなのかがうまく合点できない。
「休み」というのが、「労働」と対比させてのものであるなら、後者は、目的意識を持った営み、ということだから、前者は、「目的意識を持たない営み」などということになるのであろうか。
◆◆◆
ただ、どんなにぶらり旅にでかけたとしても、どこかの興味を惹かれた駅で降りたり、風情のある旅館に泊まったりするわけだから、どうしても目的意識は働いていることになってしまう。
目的意識を働かさないように工夫して、家でゴロゴロ寝っ転がりながら冷房をきかせて映画でも観ることにするとしても、映画を選んだ途端に元の木阿弥になってしまうから、人間にとって、目的意識をまるで含まない行動というものが、習慣として身についていることなど以外には、やはりどうしても見つけ難い。
そうして、人間の営みの内実を、目的意識があるかどうかではなくて、目的意識が高いか低いかという段階のうちの、どこに位置づけられるかということで理解しようとすると、やはりこれは、「なにをやっているか」ではなくて、「どうやるか」ということが、主だった主題となってくる。
つまり、なにをやるかはともかく、「やることについてどういう姿勢で向き合っているか」、ということである。
◆◆◆
もし単にいつもやっているような買出しに行く時にも、「今日は結婚記念日だから夫の喜ぶものを選ぼう」と思っていれば、自然と購買行動も変わってくる。
もしどんなクルマ好きでも、子どもをはじめて乗せたときに「できるだけ揺れを少なくしよう」と念頭におくとすると、自然と運転も変わってくる。
多くの人たちにとって、そういう特別な目的意識を持つというのは、ハレの日だけに限られる場合が多いのかもしれないが、わたしにとってのテーマは、特別な日に限らず、毎日の当たり前に行っている事柄のなかに、どれだけ深い目的意識を持てるかどうか、ということである。
そういうわけで、わたしにとっての数少ない休日は、目的意識のレベルだけは仕事の時の真剣勝負を維持したままに、どれだけそれを好きなことの中に見いだせるか、という姿勢になってしまう。
ひとはこれを見て、「休日もそんなに気合入れて過ごしてたら休みにならんわ」とあきれ果てているけれども、毎日やっていることを休日だからと止めてしまうから、月曜日が辛くなってしまうのである。
むしろ、仕事の疲れを引っ張った休日の朝の怠け心で、いつもより多めに寝てしまったりすると、「もったいないことをしちゃったなあ」と思ってしまう。
で、「なんとかして取り返そう!」、そんな具合。
これを病気というのなら、たしかにそうかもしれない。
そういえば、高校生の時の心理テストだかなにかのスコア、笑っちゃうくらい凄まじい偏り方をしていたっけ。
いまではもっと酷くなっているかもしれない。
目的意識の強い対象化された意志を、悪く解釈すれば強迫観念ということになっちゃうんだもの。
◆◆◆
さていつものとおり、どうでもいい前書きをしていたら、本論にたどり着くのが遅くなってしまった。
今週はめずらしく、時間を作って人と会っていたのだけれど、その人というのが、ここのBlogの熱心な読者で、どんな話になっても、「その話は覚えがある、あそこで君も書いていたよね」とおっしゃるので、ずいぶん恐縮してしまった。
なんでも、未読の記事を指折り数え、全部読むまでやめるつもりはないとのこと、恐れ入りました。
限られた時間の中で出来る限りのことを、と思って書き認めてきたことではあるけれども、やはり時間の制約というものは大きく、昨日のことにどれだけ手直ししたいことが見つかっても今日が迫る故、今の自分に無理なことは無理と言うしかないこの足あとだけれど、それほどに人の支えになっているとは、これは、有り難い、と、しみじみと感じ入ったものであった。
こういう時間が過ごせるというのは、それなりに歳をとらねばわからないことのうちのひとつ、ということかもしれない。
ただこういうときに、単に歳をとればよいというものではないのも事実なので、学生のみなさんには、ちゃんとした人と、ちゃんとした休みをと、「休みの過ごし方」を工夫してほしいものです。
ちなみに、「人のマトモさ」を、「どれだけたくさんの人がそうしているか」を根拠に論じるような大人のことを聞いちゃうと、やっぱりこういう過ごし方には、なりにくいのじゃないかなあ。
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