2011/07/08

現代社会を裏であやつる秘密結社は存在するか

「…へぇ?」


今回のタイトルを見てそんなふうな、気の抜けた返事が出れば、わたしとおんなじ反応である。

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なんでも職場で、こんなふうな話題が出て盛り上がったのだと。
この話を、他ならぬ自分の親戚の口から聞いたときは、穴があったら入りたい、そんな気分であった。

ただ話を聞く前から、頭ごなしに「ナンセンス極まれり」とか言うのもよくないと思って、神妙な顔をして聞いていたら、こんなふうである。

この世には世界中の有力者を集めた地下組織(原文ママ)があって、世界の動きを牛耳っており、用心が暗殺されたり竜巻が起こったり、そんな大きな事件にはすべて関わっており、今回の日本の地震も、この地下組織が一枚噛んでいる(原文ママ)のだと。
メディアはそれを知ってはいるが、報道に載せると「海に浮かぶ」(原文ママ)らしく、表立っては明らかにならない、だが確実に存在する(原文ママ)というわけなのである。

…わけなのである、と書いてみて…せっかく毎日の限られた時間をこじ開けて、車内ではメモを取り風呂でもトイレでもキーボードを叩き、少しでも意味のある文章を書こうと前途ある後進とともに歩んできたこのBlogで…こんな心底どうでもいい文章を書いてしまうと、なんだか自分たちでつくりあげてきた庭園に泥のついた足で踏み込んでしまったような悲しさを覚えてしまう。

◆◆◆

読者にとっても少なからずそうかもしれないけれども、いい大人がこんなレベルの話で時間を潰しているのを見て見ぬふりもしたくないしで、なぜにこんな話になってしまうのかをまじめに考えてみよう。

結論から言ってしまえば、この話題がつまらないのは、「組織とはどういうものか、がちっともわかっていない」ということである。

すこし前置きをしておくと、なにもここで、UFOの話をしているから駄目なのだとか、オカルトだから駄目なのだとか、話題の内容がどうだからダメだとか言っているのではない。
どうでもいいことだけど、わたしは海外ドラマ『X-Files』も大好きだし、エイリアンものの映画はほとんど観ているほど好きである。
それに、科学をはじめ学問というものが、あらゆることがありうる可能性を頭ごなしに排除しないことも知っている。

だけれど、原則をしっかりと押さえていない考え方は、どうあがいてもまともな結論にはならないのだ、ということは、学者として、大人として言っておきたい。

学問は、本質的な話題になればなるほど一般の人がいうところの「そもそも論」から説明するので、それが原理的であるということによって、現実には適用しにくいものなのである。
ただ、この「そもそも論」も、こういった、発想の原点そのものに誤りがある妄想を振り払うには、十分に効果を発揮する。

◆◆◆

ここでの話題は秘密結社だの地下組織だのらしいので、
では「そもそも」、組織とはいったいなんなのか?
と問いかけてみよう。

たとえば、あなたに帰るべき家があり、そこに誰かがいるとすれば、あなたはそこの成員である。
たとえば、あなたに働ける職場があり、そこに上司や同期、部下がいるとすれば、あなたはそこの成員である。
たとえば、あなたが税金を収めることの見返りに、強盗に襲われたときには守ってくれる警察があるとすれば、あなたはそこの成員である。

そういうふうに、家族、会社、国家などの例で考えてみればわかるとおり、組織というのは、2人以上の成員からなるものなのは間違いない。

そしてその内容に目を向ければ、たとえば家族は、働いて疲れた心身を休ませるための組織だし、社会は、あなたが働いた見返りに給与を与える組織だし、国家は、あなたが国家意志と契約し、税金を収める代わりに個人ではまかないきれない危険や不安から、あなたの身の安全や財産を保障する組織である。

そうすると、これは隠されていて見えにくいものだし、成員それぞれが明確に自覚していない場合もあるけれど、組織には、ある「目的」があるということになる。

以上を要すると、組織というものは、2人以上の人間が一つの目的のために集まるときに成立しうるものである、と一般的に言うことができる。

◆◆◆

もし、目的をなにも設定せずに秘密結社が結成されるとしてみよう。
あなたはその成員として加わり、本日より会合を持つことになった。
そんなとき、いちばんはじめに議題に上がるのはこれである。

「…ところで、今日から何をしましょうか?」


どうも、形を作ったり社名をつけたりすると組織ができあがると思っている人がいるようなのだが、「イレモノ」を作ったら中身が勝手に埋まるというのは、とんでもない勘違いである。
言い換えるなら、組織の本質というのは、よくある組織図や組織の名前にあるのではなくて、むしろ成員同氏の関係性と、それらが全体として目指す目的こそにある。

ある目的を達成するために設立された組織が、活動を続けてゆく中で目的が徐々に変容してゆくことはありえるけれども、それとて、組織のあり方とその目指すところが相対的に独立しているというにすぎない。

組織というのは、人数が決まっていて役割が決まっていて長期にわたって同じことをしているような、固定化されたものではなくて、もっと有機的なものなのである。

目的があってもそれが弱まったりなくなったりすれば、成立根拠を奪われて解体するのだし、もし目的は統一されていても成員たちの欲求を満たすことができないのならば、それでも解体されるものだ。

◆◆◆

世界中で起こっていることの理由がわからないからといって、たとえばあれもこれもひとつの秘密結社の手によるものなのだとか言い始めると、話がどんどん怪しげな方向に進んでしまうのは、あれもこれもとぜんぶの原因をひとつの組織に押し付けてしまうことによって、「結局のところ、何がしたいのか?」が、ぼやけてきてしまうからである。

ダイアナ妃もマイケル・ジャクソンも日本の地震もカトリーナも温暖化も、もし単一の組織の手によるものだとしたら、彼女や彼らの目的は、いったいなんなのだろうか。


人間の歴史をたどれば、現代社会だけではなくてずっと昔から、天変地異や災害などの人智の及ばぬ自然の驚異を、ただありのままに受け止めることのできなかった人類は、それに対抗する手段を講じるのとは裏腹に、それに何らかの意味を見出すことを考えた。

前世の悪行のゆえか、人にもともと備わった罪のゆえか。
そういうふうに、自然の中にも人間の精神のあり方を押し付けて、「ある者の意志」を読み取ろうとしたところに、宗教の原始的な形態がうまれたわけである。

そこで「神」や「仏」と呼ばれていたものを、オカルトに齧りつくような人たちは「秘密結社」と言い換えているわけであるが、そのことに彼や彼女たちは気づいているだろうか。
もっとも、ちゃんとした信心を兼ね備えている人は、こんなオカルトには手を出さないから、比べるのも失礼というものであるが。

◆◆◆

こんなレベルの考え方のどこがおかしいかを指摘するのは、お化けが出て独りで眠れないという子どもに、聞かせる話と同じようなものである。

「部屋の隅っこにお化けがいて、怖いから眠れないって?
じゃあ、こんなふうに考えてみたらどうかな。
お化けっていうのは、こうやってふつうに過ごしている人たちが、天国に行ったときにそうなるんだったよね。
そうしたら、お化けは、もともとはふつうの人間だったってことになるね。
きみは、今日外で遊んでいるときになにか怖い人に出会ったかな?
これまではどう、あしたはどうだろうね。
もちろん、少しは悪い人もいるし、怖いことも起きるけれど、今日は外に出たらきっと怖い目に合うだろうなって、いつもビクビクしてるわけじゃないでしょう。
もしそんなだったら、みんな外には出ないもの。
そうだとすると、もしお化けがいたとしても、もともとはこんなふうな世の中にいた人たちがお化けになったんだから、お化けたちのことも、そんなに怖がることないんじゃないかな。」


こっちはこっちで、内容のいい加減さはともかく、子どもの不安を払拭するという意味があるし、ちょっとは考えて納得しようという気持ちも読み取れるけれども、いくら世の中の不条理を身に染みて味わっているからといって、いい大人が悪いことの元凶を誰かに引っかぶせるというような姿勢で、子どもをまともに育てられるだろうか。

世の中が不条理に満ち溢れているというのなら、自分だけはまっすぐに立って範を示しなさい。
世の中がうまくまわっていないと思うのなら、どうすればいいのかを、逃げずに考えなさい。
もういい大人なんだから。

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